小児科医の医者冥利に尽きます(4)~新聞記事
千尋様から見せていただいた父の返信封筒に手紙のほかに一緒に入っていたものがあります。昭和28年元日付の父から○○様ご家族への新年の祝賀の電報と新聞の囲み記事の切り抜きが入っておりました。
父からの電文は『アケマシテオメデトウゴザイマス コトシコソサイリョウノトシデアリマスヨウニ』でした。今年はとか今年もではなく、今年こそという部分に父の思いが込めれれている気がします。
新聞の囲み記事は千尋様のお母様が切り抜かれて保存されていたものと思われます。新聞記事からの抜粋です。
『さる8月葉山に子供を連れて海水浴へ行った際、4歳の男の子が急に発熱した。医者の話では日本脳炎かもしれないというので、夕方急ぎ帰京することにした。逗子で乗車してから私たちの様子を見た車掌さんが、手ぬぐいを水で濡らしてくれたりと面倒を見てくれた。そのうち容体が急変し、ヒキツケ始めた。車掌さんは手遅れになるといけないので次の戸塚駅で手配をしておくからすぐ下車したほうがいいと、駅に連絡してすぐ近所の病院へ行くことができた。診断は急性エキリ、一刻を争うのでそのまま入院やっと退院できました。あの時そのまま品川まで乗車していたらおそらく手遅れになっていたでしょう。ありがとうございました。』
この投稿に新聞社が裏付け調査の記事を載せています。新聞社の調査で8月9日の車掌報告書にも載っており、本人に取材をして、子供は唇は紫色で体はけいれんして重体だ。間に合わないといけない。次の戸塚には近くに共立病院があるので、手配して、下車をさせた。その子供さんも救命されたそうです。国鉄が発足したのが、1949年(昭和24年)でこの車掌さんにとっては国鉄に入社後11年目の出来事なので、この投稿と後追い取材は1960年(昭和35年)であったと思われます。千尋様のお母さんはたまたま見たこの記事がわが子そっくりであったため、わざわざ切り抜かれて、父の返信の手紙と一緒に大切に保管されていたようです。我が子の病気から8年も経っていますのに、同じ病気、転機の記事に涙ぐみ、感銘されたと思います。なんと深い母の愛情でしょうか。頭の下がる思いです。
次の更新で最後になります。院長の私にとって驚くべき事実が判明しました。
2018-03-09