小児科医の医者冥利に尽きます(3)~手紙の続き
『私自身まだ独り身にて父に先立たれ、兄に先立たれ、老いし母のただ一人の子どもとして、皆様のお手紙、お写真を見せていただき、父母の子どもに対する愛がいかなるものかについてこんなにまでしみじみと心に映じたことはございません。私も母のために最大の幸福をもたらすべく、努力しようと感じた次第です。』

<少し捕捉します>
父は太平洋戦争において、父と兄をなくし、戦後は母と2人暮らしでした。

『皆々様から頂いた全くのご信用とそれに基づく協力は私たちを元気づけ、ご病気の治癒に及んだと思っております。病気は皆さまは治されるとお考えの方が多いのですが、医者はその協力者であるにすぎないことが多いのです。その点、私からも皆様に御礼を申し上げねばならないと存じています。』
『9月初めより隔離病舎から普通病舎に変わり、医者が青くなる季節ですのに毎日毎日各種の病気の患者さんが入院してまいります。本日も昨日も一昨日も一人ずつ世を去っていきました。務めとはいえ、実に悲しい、運命とはいえ、悔いることの多い日々です。凡人たる私には時に医者が嫌になることもございます。しかし、救える病気なら救えるという時代が来るようにただの一介の下級医師にすぎませんが、努力したいと存じております。』

1960年くらいまでは本当にたくさんの小児患者さんがなくなっていました。ほかの先生に聞いたこともありますが、白血病の患者さんが入院してもあまり方法もなく、死を待つのみの症例も多かったようです。しかし、現在三重大学小児科の専門である小児白血病は治る病気となってきています。
当時は現在と異なり、薬もあまり無く、治療器具や検査を含めて、医学も十分に発展しているとは思えませんが、現在に通ずる医師としての思い、患者さん本人を含めてご家族とともに治療していくなど医師としてのこみあげる思いが切々とつづられています。
2018-03-07